日本人はかわった?

35121ネットサーフィン(死語?)中に見かけたのですが、このような記事がありました。このブロガーさんの意見ではなく、とある番組の書き起こしのようです。内容は当該記事を参照してくださいね。
「日本人は変わった」最近このような意見が多いですね。
確かに変わったと思います。かつては、主張はどうあれ、自らトラブルを招くような行動を慎むのが美徳だったと思います。他人に迷惑をかけないだけでなく、無用な争いや誤解の元となる行動は極力避けるという姿勢は一種の気配りであり、またそれは、決して自己主張を抑えることには繋がらないと思います。すべての人が自分と同じ考えを持っているわけではなく、かといって大多数の意見にむやみに賛同する必要もありません。
ネタ元の方の行動は「自由」をはき違えているのではないかな?「自由」な行動を思想的に押さえ込まれそうになったと感じたのでしょう。それを「日本人は変わった」と表現したのでしょうが、そのような主張をすることにこそ「日本人は変わった」と感じますがね。
「自由」には必ず「責任」が伴うと思います。常に「秩序」を優先すべきだと思います。社会の中で協力し合って生きている、その中での自由であって、それを守ってきたのが「日本」だと思います。それが、凜とした美しい生き様に思えるんですがね。
「美しい日本」というと右寄りに聞こえる人達が増えたことが、まさに「日本人は変わった」ということなんでしょうね。

因みに、「迷彩服の自衛官を子どもは怖がる」という左派の主張、子どもって女の子も含めて迷彩服の自衛官に大喜びで興味津々ですがね。戦車なんか見た日には狂喜乱舞ですよ(←これ、どっかで言いたかったwww。あっ、決して戦争賛美なんかしてませんよwww)

なんか違うなぁ・・・。

706982_67183931あるブログを見ての感想。大したことじゃありませんが、若干怒っているので。

発端は、『「なぜ笑うんだい?」ポルトガル語を一生懸命話す少年を笑う記者に対するクリスティアーノ・ロナウドの対応が素晴らしいと話題に』というブログ記事なのですが、その記事に対して、「子供を馬鹿にしているのではなくほほえましく思った笑いじゃないのか」ってコメントが多くありました。私もそう思っていました。ところがそれに疑問を呈するというか、理由はどうあれ、その笑うという行為そのものが間違っているというという発言のブログを見かけました(投稿者に悪気はなく、炎上すると困るのであえて出典元は記載しませんが)。投稿者は、日本人の感性からして、馬鹿にしているわけではないのは確かだが、笑いそのものが子供を傷つけ、曳いては人前で話すことをためらうようになるのではと言うことのようです。それも理解できますし、実際そうなのかもしれません。ただ、このほほえましい笑いというのは日本だけの文化で、これが外国語教育に悪い影響を与えているという主張だったのですが、それは納得できません。
最近よく見かける主張なんですが、「日本では常識でも世界では通用しない」「日本人はこう感じていても世界の人はそう思っていない」「日本の文化は、世界では異質である」。じゃぁ世界って何よ?ってことです。
世界に合わせることがグローバル化だと勘違いしているケースがとても多いように感じます。もちろん、ビジネスの場などの交渉事・契約事では、ルールや価値観を統一し、お互いが齟齬を来さないようにするのは当然ですが、ごく普通の日本人がごく普通の生活の中でごく普通に取る行動を「世界とは違う」と言われても、「違うから何?」としか思えませんし、まして「優劣」や「善悪」で語られてもねぇ。日本人の行動が、他の国・他の文化圏の方々に迷惑をかけるのであれば、少なくともそこでは改めなければなりません。「これが日本人の考え方だ。何が悪い?」ではいけません(私は観光地に住んでいますので、そういう感覚の外国の方に辟易しています)。
元々日本人は、自分たちの文化に誇りは持っていますが、それが最高の物であるとは思っていませんし、だからこそ他の文化の良いところは積極的に受け入れ取り入れています。しかし、最近の、特にマスメディアの論調は「日本人のここが間違っているから改めよう。それが世界との価値観の共有に繋がる」であり、決して「日本人のこの考え方は誤解を招く場合があるかもしれないから、相手の文化も尊重しよう」ではありません。逆に、海外の方に「日本人はもっと自国の文化を大切にしろ」と言われる始末です。
大げさな内容になってしまいましたが、どうも最近、日本人なのに日本人じゃない人が増えているような気がしますので、ちょっと吠えてみました。

ジャーナリストさんwww

115103_4770政治家の方々も大概ですが、ジャーナリストもねぇ・・・。
西宮市長×テレビ東京「偏向報道」騒動にみる 取材拒否は伝家の宝刀か」という記事がありました。なんかもう「俺はジャーナリストとして正論をのべているのだ!」なんでしょうね。「メディアに求めた取材の条件4点」と称して、内容を細かく分析してはいるのですが、「自治体」を「企業」と同一に論じている点、いや無理に同一視している点でもうなんだかねぇ。
当然「知る権利」を持っている一般の方々に対して、開示されている情報を伝えるのがジャーナリストの責務なんでしょうが、記事を書いたジャーナリストさん(元々あんた作家だよね?)、この記事、誰得?西宮市に恨みでもあるの?あんたの立場なら、報道した側を糾弾すべきじゃないの?
西宮市のやり方に注文をつけたいのなら、まず今回の報道の正当性を論じないとねぇ。「放送法第三条」の「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」は、番組に「偏向」が無いことが大前提でしょうが!
記事では、問題点と称して「分かっていない」「信頼関係を損なう」「反発を受ける」と挙げていますが、それそのまんま今回の偏向報道の結果のことでしょう?それを西宮市が正そうとしたら、見事なまでのブーメラン。
怒ってもしょうがないのですが、確実にジャーナリストへの信頼がまた1Pointマイナス・・・。一般人はちゃんと見てますよwww

なるほでねって言うか・・・

ballpen書けなくなったペン、捨てるのはちょっと待った!まずはこれを試してみて!!OCTOBA
これが記事になる時代なんですね。私が学生の頃は、ボールペンが書けなくなるのは日常茶飯事で、そんな時は「まず呼気を吐きかける(吹きかけるじゃなくハーッって感じ)、それでもダメならライターで炙る」というのは常識でした。もっとも、持っていない人を探す方が難しいくらい使い捨てライターが普及していたので可能だったんでしょうが。なので、この記事を目にしたときに、こんなところにも時代の流れを感じてしまうほど歳を取ったのかと、少々いやかなり哀しい思いを受けてしまいました。
ちなみに、最近のボールペンは、書けなくなったりインクの塊が出たりなんてことは無いと思うのですが・・・。笑い話ですが、アポロ飛行船が現役の頃、無重力状態で使えるボールペンを、数億円をかけてNASAが開発したと言う話がありました。それを聞いたロシア(当時はソ連ですね)は、「鉛筆じゃダメなのか?」と言ったとか言わないとか・・・。

「アップルウォッチ」 ほしいですけど・・・

iwatch巷では、「アップルウォッチ」の話題で持ちきりですね。こういうガジェットは好きですし、いずれ手に入れることにはなると思いますが、若干の疑問も持っていました。
ネット上に、「アングル:「アップルウォッチ」、ファッション業界には響かず」なる記事がありました。まさにこれが疑問だったのです。スマホに代表される情報端末を愛する人が、はたしてどれぐらい腕時計を活用しているのでしょう? 時間を確認することに特化した腕時計に様々な機能を持たせても、それならスマホでいいじゃんて感じですよね?
腕時計って、時間を知る道具以上の役割を持っていると思うのですがどうでしょう? 私見ですが、アクセサリーとしてのブレスレットに時計の機能を持たせたのが腕時計だと思っています。なので、TPOに合致したアクセントとしての活用や、時にはステータスシンボルとして、その存在感を誇示するためのアイテムとしての腕時計であって、そこに便利機能を求めてもどうなんでしょう? 確かに、スマホ(特にiPhone)が世に出たときに、電話機にそんな機能を持たせても・・・という意見もありましたが、ここまで普及しました。もともと電話機は便利ツールですし、デザインの善し悪しはあっても、そこにファッション性を求めることはほとんどありませんでしたので、爆発的な普及は理解の出来るところです。私はバブル期の人間なので特にそうですが、腕時計は、靴と同様その人の経済的ランク?を判断するのに利用します。まぁナンセンスな話ではありますし、そこまで腕時計に拘る社会ではなくなっているとは思いますが、前時代的な思考から離れられない私としては、どこか違和感を覚えてしまいます。どうでもいいですけどね。
とは言いながら、すごく気になっていますし、そのうちこの場で「インプレッション報告」となるのは間違いないでしょうwww

1 / 612345...最後 »